平家琵琶の豆知識

平家琵琶の相伝者の立場から、やや専門的な解説をするブログです

「腰越」解剖2

下音
益無き命は存ずと云へども、京都の経回難治の間、身を在々所々に隠し、辺土遠国を栖として、土民百姓などに服仕せらる。
上音
然るに、交契忽ちに純熟して、平家の一族追討のために上洛せしむる手合せに、まず木曽義仲を誅戮の後、平家を攻め傾けんがために、或時は峨々たる岩石に駿馬に鞭打って敵の為に命を亡ぼさん事を顧みず、或時は漫々たる大海に風波の難を凌ぎ、身を海底に沈めん事を痛まずして、屍を鯨鯢の腮に懸く。

命は存じながら、京都の経回難治の間、身を隠し、辺土遠国を栖として、土民百姓などに服仕してきました。
交契が熟し、木曽義仲の誅戮、平家追討のために、峨々たる岩石を駿馬に鞭打って越え、漫々たる大海の風波を凌ぎ、命を顧みず、我が身を鯨鯢の腮に懸けました。

下音
然のみならず、甲冑を枕とし、弓箭を業とする本意、併しながら亡魂の憤りを休め、年来の宿望を遂んと欲するよりほか他事無し。剰つさへ義経五位の尉に補任の条、当家の重職 何事か是に如んや。然れども、今憂い深く、嘆き切なり。
上音
仏神の御助けに非ざるよりほか、争でか愁訴を達せん。是に依て、諸神諸社の牛王、宝印の裏を以て、全く野心を挟まざる旨、日本国中の大小の神祇、冥道を請じ、驚かし奉つて、数通の起請文を書進ずと云へども 猶以て 御宥免無し 

甲冑を枕とし、弓箭を業とする本意は、父の亡魂の憤りを休め、年来の宿望を遂んと欲することのみです。
補任した五位尉は重職ですが、憂い深く嘆きは切です。
仏神の御助けのほか、愁訴は達せられません。諸神諸社の牛王宝印の裏を以て、野心のないことを、数通の起請文を書いて進じましたが、いまだ御宥免ありません。


其我
下音
国 神国なり。神は非禮を享給ふべからず、憑むところ他に非ず。偏に貴殿廣大の慈悲を仰ぎ、便宜を窺ひ、高声に達せしめ、秘計を回らして
上音
誤りなき旨を宥せられ、芳免に預らば、積善の余慶、家門に及び、栄華を永く子孫に伝へん。依て年来の愁眉を開き、一期の安寧を得ん。書紙に尽さず、併ながら

我国は神国です。神は非礼を享給いません。憑むところは偏に貴殿(広元)殿の慈悲のみ。折を窺い、
義経には誤りがないと宥せられ、芳免に預れば、積善の余慶は家門に及び、栄華は子孫に伝えられるでしょう。私も年来の愁眉を開き一期の安寧を得ます。書紙に尽さず、

ハコビ
省略せしめ候らひ畢ぬ。義経 恐惶謹んで言。元暦二年六月 

五日の日 源の義経 進上因幡守の殿へとぞ 書かれたる。

省略せしめ候らひ畢ぬ。義経恐惶謹んで言す。
元暦二年六月五日、源義経 進上因幡守の殿へとあった。

「腰越」解剖1

平家琵琶では、腰越状の部分は「読物」という特殊な節まわしで語ります。「読物」は「伝授物」の一つで、「平物(ひらもの)」161句の口伝を終えていないと教習が許されません。また音の構造理論も複雑ですので、技術面では大小秘事より難易度が高いといえます。
読物は全部で13句あります。祝詞や手紙文が中心となっています。

巻之二 康頼祝詞
巻之四 山門牒状
巻之四 南都牒状
巻之四 南都返牒
巻之五 文覚勧進帳
巻之五 伊豆院宣
巻之七 木曽願書
巻之七 木曽山門牒状
巻之七 山門返牒
巻之七 平家連署願書
巻之十 八嶋院宣
巻之十 請文
巻之十一 腰越

平家物語の原文が載っているサイトは多くあると思いますが、ちょうど大河ドラマ腰越状が出てきましたので、当該部分の詞章と、ごく簡単なあらすじを載せてみます。

散シ(低音域で独特の節があります。祝詞に似ています。) 
源の義経、恐れながら言上げ候。意趣は御代官の其一つに撰ばれ,勅宣の御使として朝敵を平らげ、会稽の恥辱をすすぐ。勲賞行はるべき所に、思ひの外の虎口の讒言によって、莫大の勲功を黙せらる。義経、犯し無して科を蒙る、功有て誤無しと云へども、御勘気を蒙る間、むなしく紅涙に沈む。

源の義経、恐れながら申し上げます。この書状の意趣を申します。私は御代官の一人に撰ばれ,勅宣により朝敵を平らげましたのに、讒言によって勲功もなく、犯しも無く科を蒙り、御勘気を蒙り、血の涙を流しています。

下音(低い音域でテンポ良く語ります) 
讒者の実否を正されず、鎌倉中へだに入れられざる間、素意を述ぶるに能はず、徒に数日を送る。この時に当って、永く恩顔を拝し奉らず、骨肉同胞の義、既に絶え、宿運極めて、むなしきに似たるか、はたまた前世の業因を感ずるか。
上音(やや高い音域でテンポ良く語ります) 
悲しき哉 此条 故亡父尊霊再誕し給はずは、誰の人か愚意の悲嘆を申し披かん、何れの人か哀憐を垂れられんや。事新しき申状 述懐に似たりと雖も 義経 彼の身軆髪膚を父母に受け、幾許の時節を経ずして 故頭の殿 御他界の間、孤児と成て 母の懐の内に抱かれて 大和国宇多郡へ趣きしより以来 一日片時安堵の思ひに住せず。

讒者の実否を正されず、鎌倉にも入れないので、思いを述べることができず、いたずらに数日を送り、対面もできません。
亡父の尊霊が再誕しない限り、私の悲嘆を哀れむ人は無いでしょう。述懐になりますが、身軆髪膚を父母に受け、時節を経ずに父が他界し、母と大和国宇多郡へ赴いて以来、片時も安堵することはありませんでした。

那須与一 徹底解剖3

口説(くどき:説明を淡々と語る)
味方の兵者共、与一が後を遥に見送って、一定この若者仕る可存じ候と申しければ、判官も頼し気にぞ見たまひける。矢比少し遠かりければ、海の面一反斗打入たりければ、未だ扇の間、七反斗も有るらんとぞ見へし。

与一の後姿を見守る源氏は「与一ならきっと的を射落とすだろう」と話します。汀へ馬を打ちいれても扇までの距離は7反*1あります。
背後から注目と期待を一身に浴びる与一。通常なら難なく射落とすことの出来る距離に扇はありますが、次のような理由で、決して容易くはありません。

三重(さんじゅう:情景を、高音域の節をつけて語る)
比は二月十八日、酉の刻斗の事なれば、折節北風烈しくて、磯打つ浪も高かりけり。舟は淘上げ淘すへて漂へば、扇も串に定まらで、ひらめいたり。沖には平家、船を一面に並べて見物す。陸には源氏、轡ミ(くんばみ)を揃へて是を見る。何れも何れも晴ならずと、云う事無し。与一

旧暦の2月18日、日暮れ時。北風が強いので波が高く、小舟も扇も揺れています。沖の平家軍も陸の源氏軍も与一を見ています。
旧暦2月18日は満月の直後。潮の満ち干も大きいはずです。北風があれば(大河ドラマでの状況判断を加えると)山肌に当たる風も強くなります。さすがの弓の名手でも、ひらひらと揺れ動く扇の的を射るのは大変でしょう。仮に20メートル先だったとしても、源平両軍の注目を浴びているのです。ましてや日没前ですから明るさも十分ではないかもしれません。

(ひろい:合戦の場面を勇ましく語る)
眼を塞いで、南無八幡大菩薩、別しては我国の神明、日光の権現・宇都宮・那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させて賜せたまへ。射損ずる程ならば、弓切折自害して、人に再び面を向ふんべからず。今一度本国へ帰さんと思し召さば、此矢はづさせたまふなと、心の中に祈念して、眼を見開いたれば、風少し吹き弱って、扇も射好げにこそ成りにけれ。与一、鏑(かぶら)を取て番、能引てひょうと放つ。小兵と云条、十二束三伏、弓は強し、鏑は浦響く程に長鳴りして、誤たず扇の要際一寸斗置て ひいふっとぞ射切たる。鏑は海に入りければ、扇は空へぞ上りける。春風に

与一は目を閉じて神々に祈ります。そして目をあけると不思議なことに風が弱まっています。すかさず鏑矢を番えて勢いよく放ちます。与一は小兵なので弓も小ぶりですが、強く引いたので矢は力強く飛び、扇の要の近くを射切って海へ落ちます。
日本の宗教はおおらかですね。八百万の神々が与一に味方するのです。ここは「拾」でも低音域で語ります。人知れず、けれども決意はしっかりと、祈っている感じがします。いっぽう、矢が飛ぶところは「拾」でも中音域で語ります。鏑矢の力強さを示しているかのようです。

走リ三重(はしりさんじゅう:短い三重)
一揉
(ひろい:合戦の場面を勇ましく語る)
二揉み揉まれて、海へ颯とぞ散たりける。皆紅の扇の日出ひたるが夕日に輝いて、白波の上に浮きぬ沈みぬゆられけるを、沖には平家船端を叩いて感じたり。陸には源氏、箙(えびら)を叩いてどよめきけり。

扇は水面に舞い散り、金色の日の丸に夕日が反射します。平氏は船端をポンと叩き、和歌でも詠む勢いで感心します。源氏は弓を入れる箱「箙」を叩いてどよめきます。
勇ましい語りの中に、一瞬だけ、高音域の節でゆったりと「ひともみ」と語ります。まるでスローモーションのようです。扇が水面に落ちる頃には通常の「拾」のスピードになり、源平両軍が我に返り、敵も味方もなく感動したことが伝わってきます。
目で読むより声に出して読んだほうが、行間に隠された面白味が見えてきます。声に出すより節をつけて語ったほうが、さらに立体的なイメージが膨らんできます。

*1:20メートル説、80メートル説、いろいろあります

那須与一 徹底解剖2

(ひろい:合戦の場面を勇ましく語る)
与一、其頃は未だ二十斗の男也。褐(かち)に赤地の錦を以て、壬(おおくび)衽(はたそで)彩へたる直垂に、萌黄匂の鎧着て、足白の太刀を帯き、二十四指たる截生(きりう)の矢負い、薄截生に鷹の羽割合せて矧だりける莵目(のため)の鏑をぞ差添たる。滋籐の弓脇に挟み、甲をば脱で高紐に掛、判官の御前に畏まる。

二十歳そこそこの与一は、衿と袖先を錦にしたかち色*1の直垂*2と、緑のグラデーションとなっている鎧を着て、銀の太刀、24本の矢*3と大きな音が出る鏑矢を持ち、籐をよく巻いた弓を脇にかかえ、兜は脱いで、義経の前にかしこまります。
合戦装束の多くは、口説か拾で語ります。平家物語には「異本」が多くあり、合戦装束の記述についても諸本で少しずつ異なりますが、平家琵琶の詞章は「記述の順番が統一されている点」が特徴です。装束を着装順に記述し語ることで、聴衆は登場人物の姿を明確にイメージできるのです。ちょうど自分だけのアバターを作成している感覚でしょうね。

口説(くどき:会話を淡々と語る)
判官、いかに与一、あの扇の真中射て敵に見物せさせよかしと宣へば、仕とも存じ候はず、あの扇射損ずる程ならば長き味方の御弓矢の疵にて候べし。一定仕らふずる仁に仰せ付らる可もや候らんと申しければ、判官大きに怒って

義経は与一に、あの扇を射てみよと伝えますが、与一はもし失敗したら味方全員の恥となる(責任が重過ぎる)ので他の方に仰せ付け下さい」と申し上げます。ところが義経は怒り出します。
素声でなく、口説で会話を語ることで、与一の戸惑いが表れるように思います。

強声(ごうのこえ:大声の場面をあらわす)
今度、鎌倉を立て西国へ赴かんずる者共は、皆義経が命をば背くべからず

「鎌倉から一緒に(義経の部下として)西国での軍に望む者は、自分(義経)の命令に背いてはならない!」
大河ドラマでは、摂津から阿波へ向かうにあたり、同様の発言をしていました。義経はこの場面で、300人余の軍勢に聞こえるよう、大声を出したのでしょう。ちなみに語る音域は少し高くなりますし、力強く語るための口伝がありますが、決して大声で語るわけではありません。一句を通して語るとき、声量を変えるのは下品とされています。

素声(しらこえ:会話を、節をつけずに語る)
それに少しも子細を存ぜん殿原は、是より疾々鎌倉へ下らる可とぞ宣ひける。与一、重ねて辞せば悪かりなんとや思ひけん、左候はば、はづれんをば存じ候はず。御諚で候へば仕てこそ見候はめとて御前を罷り立つ。黒き馬の太ふ逞しきに、丸ぼや摺たる金覆輪の鞍を置て乗たりけるが、弓取り直し、手綱掻繰て、汀へ向いてぞ歩ませける。

義経は「異論を唱える者は即刻鎌倉に帰れ」と宣言します。これ以上辞退できないと思った与一は「必ず的を外すというわけではないし、仰せとあらば試して見ましょう」と義経の前を去り、黒い馬に、金で縁取りをした鞍を置いて、汀に向かいます。
義経の大声の感情も、与一が意を決するところも、静かに朗読します。感情の起伏の激しいときこそ静かに語ることで、聴衆の脳裏には、かえって人物像が浮き彫りになるのです。

*1:藍染。勝ち色として多く用いられた。

*2:ひたたれ:鎧の下に着る合戦装束。大相撲の行司の装束の原形。

*3:「指たる」をどう訳すかは、諸説あります。