譜本「平曲吟譜新集」のこと
平家琵琶の譜本(晴眼者用)には大きく2種類ある。ひとつが1737年の「平家吟譜」、ひとつが1776年の「平家正節(まぶし)」である。「平家吟譜」は平家物語と同じ順番に編纂されているが、現在の規範譜「平家正節」は、教習順に編纂されている。
「平家吟譜」は、このほど見つかった宮崎文庫記念館蔵「平家物語」を完成直前本と考えると、「延喜聖代」「宗論」「劔之巻」「鏡之巻」をそもそも掲載していない可能性がある。また「有王島下」と「僧都死去」、「東国下向」と「富士川」がそれぞれ1句にまとめられているので、193句ある。
「平家正節」は199句。これに八坂流「訪月」を加え、全200句とする。
さて、1860年より平家琵琶を学び始めた弘前藩士・津軽平八郎(楠美太素の妹婿。早い時期に藩主の津軽氏から分家か)は、灌頂巻を修得した幕末より「平家物語順に再編纂した平家正節」の写本を始め、途中、幕末〜明治維新の動乱で何度も中断しつつ、明治17年(1884年)になって、ようやくこの写本「平曲吟譜新集」を完成させている。
「宗論」「劔之巻」「鏡之巻」は存在せず、また「祇園精舎」「延喜聖代」は詞(ことば)のみで譜は無い。八坂流「訪月」も別伝なので、「平曲吟譜新集」は196句である。
平家物語の順番なので、12巻組。二つ折りの半紙に7行ずつ14行の詞(ことば)が書かれ、これにフリガナと譜と、琵琶の手を示す朱点や「連平家」のための印などが加筆されている。1句あたりの枚数は平均して半紙5〜6枚なので、1000〜1200枚だろうか。
現在は個人蔵であるが、極めて丁寧に保存され、目立った虫害にも遭っていない。
この「平家吟譜新集」の跋文は楠美晩翠が書いており、さまざまな思いがこめられている。『平家音楽史』p.515で確認することができる。
以下に示すのは原本を翻刻したものだが、読みにくいので適宜句読点を加えた。
【平曲吟譜新集跋】
平八郎君、一日平曲吟譜新集ヲ携来リ、余ニ跋文ヲ嘱ス。即チ繰テ之ヲ閲ス。巻首ニ祇園精舎之句ヲ録シ、巻尾ニ御往生ヲ記シ、全部十二巻トス。「間之物」及ヒ「換節」「五句揃」「炎上物」「源氏揃」等、亦年代順次ニ記載ス。其製頗古平曲吟譜ニ○フ(倣う)。加之肝文之句、亦順次ニ録ス。
間之物 ………… 灌頂巻を修めた後に習う挿入句。
換節 ………… 灌頂巻を修めた後に習う、変化をつけて語って良い節(曲節)。
五句揃・炎上物・源氏揃(揃物のこと)………… 灌頂巻よりも前に習う「伝授物」。
肝文之句 ………… ここでは「読物」の意味か。読物は、灌頂巻直前に習う祝詞や手紙文13句で、その旋律理論は他の187句とは全く異なるため、難易度が高い。
これらの句は、天皇家や日本史や宗教に関わる内容が多いので、晴眼者はもちろん、盲人でも一定の位を得なければ習うことが許されない。しかし、平家物語を通して鑑賞するには、重要事項が欠落してしまうことになる。
而シテ、大小秘事ノ句ニ、曲節ヲ省クモノハ、平曲者ノ秘事ニ係ルヲ以テナリ。
これは相伝ガード・プロテクトと呼ぶべきしかけである。小秘事2句は詞(ことば)のみで譜は無く、大秘事3句は詞(ことば)すら存在しない。後述するが、津軽平八郎はすでに大・小秘事を修得している。秘事の重さをよく心得、平曲を志す者が灌頂巻の伝授を受ける前に秘事を学ぶことのないように、あるいは免状の無い者が(現代の感覚で言えば、五線譜やCD等を参考に)語ることのないように、慎重な配慮をしたのである。
君之此ヲ修録スル意ヲ忖度スルヤ、安永中、荻野検校改正平家正節本ハ、故サラニ、句々ノ位置ヲ顛倒シテ、事跡順次ナラス。故ニ一句ヲ吟シテ、容易ク前後ノ段落ヲ知ル能ハス。君曽テ之ヲ厭ヒ、因テ此ノ挙アル所以ナリ。
「平家正節」は教習順に編纂されているため、少し習っただけでは内容の前後関係がわからない。平家物語の流れを確認しつつ平曲を語るための譜本が必要だと、津軽平八郎は考えたのである。
抑、君ハ我旧藩主津軽家ノ支族ニシテ名門タリ。夙ニ文武ヲ好ミ、能ク下僚ヲ鼓舞ス。就中、馬術弓芸ニ達シ、亦書ヲ善クス。万延元年庚申、折笠儀正ニ就キ、平曲ヲ学ヒ、後チ余カ先人太素ニ学フ。遂ニ灌頂之秘ヲ伝フ。自ラ平家正節全部ヲ騰録ス。尚新集ヲ修録シ、業未タ半ナラス。文久中、国家之多事ニ遭ヒ、爾来人事怱忙、平曲亦将ニ地ニ落ントス。
津軽平八郎の出自。平曲は折笠儀正と楠美太素(晩翠の父)に師事。
明治十五年三月廿二日、太素病ヲ以テ歿ス。晩翠、廿年前ノ往事ニ感アリ。平曲ノ遂ニ湮滅センコトヲ恐レ、之カ再興ヲ謀ル。君及ヒ諸輩、大ニ之ヲ慫慂ス。其九月ヨリ、月々旧藩主香花院報恩寺ニ於テ、奉納会ヲ開キ、又月々日ヲ期シテ吟演スルコト六回。是ニ於テ、平曲大ニ旧時ニ復ス。君再ヒ曩ノ吟譜ヲ継録ス。客歳四月、晩翠ヨリ小秘事ヲ伝フ。今年又大秘事ヲ伝フ。茲ニ四月、吟譜修録大成ス。前後凡ソ二十有余年ナリ。古語ニ曰ク、有志者事遂ニ成也ト。君之謂ナリ。君ノ平曲ハ、概シテ平調ニ発シ。緩急長短能ク節度ニ適シ、後学ヲ教授スルコト、聊誤謬ナシ。余常ニ之ヲ嘉ス。併書シテ以テ跋文トス。
明治十七年四月 弘前 楠美晩翠誌
楠美太素死後、楠美晩翠は平曲を再興するため、弘前報恩寺に眠る旧藩主の前で毎月奉納演奏をし、そのほか毎月6回の演奏会を開き、旧弘前藩士を中心に平曲をひろめた。中でも平八郎の語りは緩急自在で、後継者への指導も適切であった。
跋文を見る限り、「平家吟譜新集」は20年近くの歳月をかけて清書されたのではないかと思われる。動乱期を含むためであろうか、まれに字の乱れも見られるが、全体には最初から最後まで勢いが変わらない。津軽平八郎が相当な精神力の持ち主であったことは確かである。