平家琵琶の豆知識

平家琵琶の相伝者の立場から、やや専門的な解説をするブログです

2005-01-01から1年間の記事一覧

「腰越」解剖2

下音 益無き命は存ずと云へども、京都の経回難治の間、身を在々所々に隠し、辺土遠国を栖として、土民百姓などに服仕せらる。 上音 然るに、交契忽ちに純熟して、平家の一族追討のために上洛せしむる手合せに、まず木曽義仲を誅戮の後、平家を攻め傾けんがた…

「腰越」解剖2

★現在、草稿の状態です。★

「腰越」解剖1

平家琵琶では、腰越状の部分は「読物」という特殊な節まわしで語ります。「読物」は「伝授物」の一つで、「平物(ひらもの)」161句の口伝を終えていないと教習が許されません。また音の構造理論も複雑ですので、技術面では大小秘事より難易度が高いといえま…

腰越

★現在、草稿の状態です。★

那須与一 徹底解剖3

口説(くどき:説明を淡々と語る) 味方の兵者共、与一が後を遥に見送って、一定この若者仕る可存じ候と申しければ、判官も頼し気にぞ見たまひける。矢比少し遠かりければ、海の面一反斗打入たりければ、未だ扇の間、七反斗も有るらんとぞ見へし。 与一の後…

引用の際のお約束

夏休みのレポートなどに引用する場合は、このブログのタイトル「平家琵琶の豆知識」とURLを忘れずに書きましょう。

那須与一 徹底解剖2

拾(ひろい:合戦の場面を勇ましく語る) 与一、其頃は未だ二十斗の男也。褐(かち)に赤地の錦を以て、壬(おおくび)衽(はたそで)彩へたる直垂に、萌黄匂の鎧着て、足白の太刀を帯き、二十四指たる截生(きりう)の矢負い、薄截生に鷹の羽割合せて矧だり…

那須与一 徹底解剖1

平家琵琶における「那須与一」の詞章を紹介しつつ、私の視点から解説をしていきます。 漢字や送り仮名は、私がいつも使っている譜本に準じました。 読みかたについては、特別なものについては( )に示しましたが、それ以外は拙著をご覧下さい。 口説(くど…

平家物語「紅葉」の名言

平家物語巻之六に、高倉天皇の仁徳を称える「紅葉」という句があります。 この中で、まだ若かった高倉天皇は、女主人の装束を奪われた女童(めのわらわ)の存在を知り、仁徳が至らないから犯罪があるのだと嘆かれ、后(徳子)の装束を女童に賜わせて当直の武士…

名言集

平家物語の中から、これは!と思う詞(ことば)を紹介します。

壇ノ浦の日、「内侍所都入」、「能登殿最後」

本日は旧暦3月24日。壇ノ浦の合戦があった日です。 1185年の今日、本州と九州の間に位置する壇ノ浦において、源平両軍が戦います。海上の戦に長けているはずの平家軍ですが、(おそらく)潮流の変化により不利となり、ある者は入水し、ある者は生捕となるの…

「那須与一」の日

本日(2005年3月27日)は、旧暦では2月18日。 1185年の2月18日(太陽暦に直すと3月21日とのこと)には、源平両軍が四国の屋島で合戦をしていました。 当時は夕方になると休戦するのが習慣でした。燃料の節約だったのでしょう。 源平両軍が、しまい支度をして…

もうすぐ一の谷の戦

今年の本日(3月15日)は、旧暦では2月6日。 1181年閏2月4日、清盛が亡くなっています。 1184年2月4日、平家は法要を行います。この日は吉日なので源氏軍は都を出発します。夕刻、範頼率いる大手軍は昆陽野に陣をとります。義経率いる搦手軍は三草山の東に到…

「木曾最期」の日

本日は旧暦の一月二十一日。「宇治川の合戦」の翌日ですから、木曾義仲の命日となります。 比は正月二十一日、入相(いりあい)斗(ばかん)の事なれば、薄氷(うすごおり)は張ったりけり。深田(ふかだ)有るとも知らずして、馬を颯(ざっ)と打ち入れたれ…

「宇治川」の日

本日は、「宇治川の合戦」が行われた日です。 現代我々が使っている暦の2月28日ではありません。陰暦で、今日が一月二十日にあたるのです。数日前、東京でも雪が降りました。雪かきなどで日陰に雪を寄せたところでしたら、まだ解けきらずに残っているのでは…

武田信玄が聴いた平家琵琶

上杉謙信のみならず、武田信玄も平家琵琶を聴いています。 『平家音楽史』には、「音楽利害」にあった「続古事談」からの引用なるものが記されています。 武田信玄、一夜諸将を会す、馬場信房、内藤昌豊、高坂昌信、山形昌景、土屋昌次、等皆其中に在り。偶…

琵琶を描いた絵など

オークションサイトを見ておりますと、琵琶をモチーフにしたグッズが出品されていることがあります。でも、致し方ないことなのでしょうけれど、細部に至るまで精巧に琵琶を模してあるものは少ないです。 これは、そいういったグッズに限ったことではなくて、…

館山漸之進と私のこと

質問をいただきましたので、ここに記しておきます。 弘前藩士だった私の先祖の楠美則徳(くすみのりよし)と、その孫である楠美太素(たいそ)は、参勤交代を利用して、江戸において平家琵琶を修得しました。 楠美太素の三男である館山漸之進(ぜんのしん)…

上杉謙信が聴いた平家琵琶

平家琵琶は、どのようなところで演奏されてきたのでしょうか。 小泉八雲が創作した「耳なし芳一」の話を思い出してみてください。芳一は、夜な夜な“貴族の屋敷”に出かけて演奏していますよね。これなんです。(小泉八雲は、盲人にまつわる複数の怪談を集めて…

平家指南抄

『平家音楽史』には、「平家指南抄」なる文献の引用があります。誰が何時ごろ書いたものなのかは述べられていませんが、いわゆる口伝をまとめたものと思われます。 引用されているのは、望ましくない語り方・環境を述べた11項目です。 常に嗜むべき事 一 目…

琵琶の種類

詳しくは平家詞曲研究室に記してあります。ここではごく簡単に。 琵琶が日本に伝来したのは奈良時代に遡ると考えられています。 その後、いくつかの種類の琵琶が日本において生まれ、現代まで伝えられています。流派が違うのではなく、成立背景や楽器そのも…

伝授謝礼のこと(安政年間)

『平家音楽史』には、安政年間に弘前藩士・楠美太素(くすみたいそ)が参勤交代で江戸に上った折、麻岡検校より平家琵琶を学んだときの記録が出ています。 太素は則徳の嫡孫です。弘前において、則徳から平家琵琶を習った工藤行敏(繁治)から手ほどきを受け…

伝授謝礼のこと

『平家音楽史』には、寛政年間に弘前藩士・楠美則徳(くすみのりよし)が参勤交代で江戸に上った折、三島自寛について平家琵琶を学んだときの記録が出ています。 字読 此は盲人ばかりなり、常の人は直に本にて読み習う也 盲人は節をつける前に、詞(ことば)…

教習の順序のこと

平家琵琶では平家物語をすべて語りますが、習う順番はお話の順番とは異なります。 全部で200句あるうちの、天皇家や歴史や宗教に大きくかかわるものを「伝授物」とし、それ以外を「平物」といいます。 平家正節(へいけまぶし)全199句 平物(ひらもの) 一…

入門式のこと

『平家音楽史』によると、平家琵琶の師に入門しようとする人は、師家に起證文を差し出すことになっています。おそらくこれは、盲人団体の当道座に入るときの手続きに由来するものです。 盲人最高位の検校(けんぎょう)のうち、特に平家琵琶に秀でた者は、宗…

弁才天と琵琶

弁天様は音楽・弁才・財福の神様。弁才天とも弁財天とも書きます。学問や芸術の神様としても活躍しています。 琵琶を持った姿で描かれたり、像になっていたりする例が多いですね。さて、この琵琶について考えて見ましょう。 弁天様はインドから中国経由で渡…