平家琵琶の豆知識

平家琵琶の相伝者の立場から、やや専門的な解説をするブログです

「那須与一」の日

本日(2005年3月27日)は、旧暦では2月18日。
1185年の2月18日(太陽暦に直すと3月21日とのこと)には、源平両軍が四国の屋島で合戦をしていました。
当時は夕方になると休戦するのが習慣でした。燃料の節約だったのでしょう。
源平両軍が、しまい支度をしていると、沖の平家軍から小舟が近づき、陸の源氏軍に合図をします。舟の「せがい」に挟んだ扇を射てみよということと思われ、弓の名手である那須与一が選ばれます。しかし……

比は二月十八日、酉の刻斗の事なれば、折節北風烈しくて、磯打つ浪も高かりけり。舟は淘上げ淘すへて漂へば、扇も串に定まらで、ひらめいたり。
沖には平家、船を一面に並べて見物す。陸には源氏、轡ミを揃へて是を見る。

今頃の日没時刻は、香川県ですと18時20分頃だそうです。酉の刻は18時頃のことですから、日没直前といえます。また、陰暦の18日は満月より少し後ですから、月の出は20時頃になるのではないでしょうか。つまり、あたりは薄暗くなりつつあります。
与一がいる場所から舟までの距離については、約20メートルとも言われますし、約80メートルとも言われます。いずれにせよ、弓の名手であれば、たいした距離ではないでしょう。けれども北風が激しいため、舟も扇も定まりません。
さらに、源平両軍の視線を一身に浴びます。
与一は、どれほどの緊張感で、扇の的に臨んだのでしょうね。