壇ノ浦の日、「内侍所都入」、「能登殿最後」
本日は旧暦3月24日。壇ノ浦の合戦があった日です。
1185年の今日、本州と九州の間に位置する壇ノ浦において、源平両軍が戦います。海上の戦に長けているはずの平家軍ですが、(おそらく)潮流の変化により不利となり、ある者は入水し、ある者は生捕となるのです。
平家の軍勢が持っていた赤旗などは海に散ります。
海上(かいしょう)には赤旗赤印(あかじるし)、切り捨てかなぐり捨てたりければ、竜田川の紅葉葉(もみぢば)を、嵐の吹き散らしたるに異ならず。汀に寄する白波は、薄紅(うすぐれない)にぞなりにける。
「内侍所都入」より
どれほどの数の軍勢が、この戦の犠牲となったのでしょう。
ところで八艘飛びで知られる義経ですが、『平家物語』の中では、あっけなく扱われています。
(能登守教経は義経を探しまわるうちに)判官(ほうがん)の舟に乗り当たり、あわやと目を掛けて飛んでかかる。判官叶わじとや思はれけん、長刀(なぎなた)をば弓手(ゆんで=左手)の脇に掻い挟み、御方(みかた)の舟の二丈ばかり除いたりけるに、ゆらりと飛び乗るりたまひぬ。能登殿(=教経)、早業(はやわざ)や劣られたりけん、やがて続いても飛びたまはず。
「能登殿最後」より
つまり、二丈(6mくらい?)先の船に逃げ移り、教経がそれ以上追わなかっただけなのです。