平家琵琶の豆知識

平家琵琶の相伝者の立場から、やや専門的な解説をするブログです

伝授謝礼のこと(安政年間)

『平家音楽史』には、安政年間に弘前藩士・楠美太素(くすみたいそ)が参勤交代で江戸に上った折、麻岡検校より平家琵琶を学んだときの記録が出ています。
太素は則徳の嫡孫です。弘前において、則徳から平家琵琶を習った工藤行敏(繁治)から手ほどきを受けておりましたので、江戸で平家琵琶を習うことを楽しみにしていたようです。
麻岡検校は「平家正節」を教授しています。「平家正節」普及以前の工藤行敏とは少々異なる印象の語り方だったようで、興味深いエピソードがあるのですが、これはまた別な機会に紹介することにして、早速伝授謝礼についてみていきましょう。

十五句以上  琵琶伝

少なくとも最初の十五句までは琵琶は持たずに稽古して、その後は「琵琶の手」すなわち奏法を習っても良い(もっと先送りにしても良い)という意味です。
ここで自分の楽器を手に入れるわけではありません。いろいろな記録をみますと、琵琶を所有しているのは検校などの相伝者がほとんどです。

五十句にて  読物祝詞

「平物」50句を習得すると、ご褒美として「康頼祝詞」を習っても良い(もっと先送りにしても良い)、という意味です。
「読物」は伝授物で、その中に「康頼祝詞(やすよりのっと)」という句があります。鹿の谷事件で鬼界が島に流された康頼が、熊野に見立てた場所で京都に帰りたいと祝詞をあげる話です。

百句の伝   都遷

「都遷」は伝授物の「五句物」にありますので、ご褒美の扱いです。

百句の伝済み候後、長物・五句・揃物・炎上物其外 小宰相・小督・我身栄華、(先帝)御入水、木曾最期、維盛入水、八坂月見 並 間の物相伝
灌頂同撥共
諸語換伝授す

こう書くと、100句の習得が済めば何でも習得が許されるかのようですが、単に100句のあとに続く「平物」には一句一句が長いものが残っているというだけのことです。
間の物(あいのもの)、語換(かたりがえ)については、また別のときに詳しく述べる予定です。

小秘事にて一部の撥 大秘事別に琵琶の伝無之 小秘事の撥にて弾く

一部とは一部始終のことです。小秘事の修得が許されると、「一部の手」といって、長い前奏曲の一部始終を伝授されます。
伝を受けていない人には、それまでに習う数種類の「琵琶の手」をつなげたものに聞こえるかと思います。でも正確にはその逆です。「一部の手」を切り取った部分部分が、数種類の「琵琶の手」なのです。
小秘事と大秘事は、同じ「一部の手」を弾きますが、時宜に応じて、本式・中略・草略というものがあります。書の真(楷書)・行(行書)・草(草書)と同じイメージですね。

一、無拠筋にて、灌頂被好候節は、灌頂撥にて城南離宮を語る。灌頂は一句より外 語不申、二句とは語不申。小秘事はさらひの外は一世に三度の外 語り不申
一、琵琶の伝 銀二枚  読物 銀一枚  小秘事 同七枚  大秘事 同十枚
  以上

灌頂之巻は、内容も音楽の構成も重いので、いちどに2句以上語らないことになっています。もし断ることのできない人(天皇陛下とか大名とか)に「灌頂をもう一句」と所望されてしまったら、「城南離宮」を、灌頂之巻のときだけに弾く琵琶の手を用いて語ります。
それぞれの伝を受けるときには、それなりの謝礼が必要になります。