平家琵琶の豆知識

平家琵琶の相伝者の立場から、やや専門的な解説をするブログです

伝授謝礼のこと

『平家音楽史』には、寛政年間に弘前藩士・楠美則徳(くすみのりよし)が参勤交代で江戸に上った折、三島自寛について平家琵琶を学んだときの記録が出ています。

字読 此は盲人ばかりなり、常の人は直に本にて読み習う也

盲人は節をつける前に、詞(ことば)を習うようです。
常の人とは、目が見える人ですから、本を見ればわかります。則徳は謝礼を払っていないので、金額は知らないわけです。

灌頂 一部百句すみて、謝礼左の如し
   銀一枚  金二百疋  樽  肴
   三日精進之由

一部とは「一部始終」の意味で、すべて修得し終えた人、という意味です。百句済みとは、平物のうち100句を終えた人のことです。三日間の精進潔斎を要するのは、高倉天皇妃の建礼門院徳子のご出家や御往生を語るからでしょう。

祇園精舎 延喜聖代
   右を小秘事と云ふ一部の上にて伝授す大秘事は常人へは伝授せす
   謝礼左の如し
   銀三枚  樽  肴  反物添
   七日精進之由

秘曲という言葉はありますが、伝承においては「秘事」と呼びます。音楽だけが大切なのではなく、内容が大切なのです。灌頂巻までの194句を修得し終えてはじめて「秘事」の修得を許されます。
常人へは伝授せずとありますが、盲人最高位の検校(けんぎょう)と、目の見える人のうち皇族と大名だけが大秘事の伝授を許されました。またそれ以外でも特に秀でた人は「内伝」と称して伝授が認められる例があります。私の先祖は、弘前藩津軽順承公が大秘事の伝を受けるときに同席が許され、「内伝」の名目で相伝しました。

都遷 内裏炎上
   右一部の上にては謝礼に及ばず、若一部済ざる前に習ふときは左の如し
   銀三枚
   此外入門の謝礼定式なし

荻野検校が尾張藩において「平家正節」を編纂したのは安永年間ですが、江戸には寛政年間になってもまだ普及していませんでした。そのため、教習の順番が多少違っていたようです。「都遷」と「内裏炎上」は、大小秘事のあとに修得してもよいし(この場合は謝礼不要)、途中で習得してもよい(この場合は謝礼を用意)、柔軟な伝授物だったのでしょう。
ところで私は個人的に、習得と修得を使い分けています。教習の途中で、ご褒美として習っても、伝授物の真髄を修めることはできないからです。