平家琵琶の豆知識

平家琵琶の相伝者の立場から、やや専門的な解説をするブログです

那須与一 徹底解剖3

口説(くどき:説明を淡々と語る)
味方の兵者共、与一が後を遥に見送って、一定この若者仕る可存じ候と申しければ、判官も頼し気にぞ見たまひける。矢比少し遠かりければ、海の面一反斗打入たりければ、未だ扇の間、七反斗も有るらんとぞ見へし。

与一の後姿を見守る源氏は「与一ならきっと的を射落とすだろう」と話します。汀へ馬を打ちいれても扇までの距離は7反*1あります。
背後から注目と期待を一身に浴びる与一。通常なら難なく射落とすことの出来る距離に扇はありますが、次のような理由で、決して容易くはありません。

三重(さんじゅう:情景を、高音域の節をつけて語る)
比は二月十八日、酉の刻斗の事なれば、折節北風烈しくて、磯打つ浪も高かりけり。舟は淘上げ淘すへて漂へば、扇も串に定まらで、ひらめいたり。沖には平家、船を一面に並べて見物す。陸には源氏、轡ミ(くんばみ)を揃へて是を見る。何れも何れも晴ならずと、云う事無し。与一

旧暦の2月18日、日暮れ時。北風が強いので波が高く、小舟も扇も揺れています。沖の平家軍も陸の源氏軍も与一を見ています。
旧暦2月18日は満月の直後。潮の満ち干も大きいはずです。北風があれば(大河ドラマでの状況判断を加えると)山肌に当たる風も強くなります。さすがの弓の名手でも、ひらひらと揺れ動く扇の的を射るのは大変でしょう。仮に20メートル先だったとしても、源平両軍の注目を浴びているのです。ましてや日没前ですから明るさも十分ではないかもしれません。

(ひろい:合戦の場面を勇ましく語る)
眼を塞いで、南無八幡大菩薩、別しては我国の神明、日光の権現・宇都宮・那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させて賜せたまへ。射損ずる程ならば、弓切折自害して、人に再び面を向ふんべからず。今一度本国へ帰さんと思し召さば、此矢はづさせたまふなと、心の中に祈念して、眼を見開いたれば、風少し吹き弱って、扇も射好げにこそ成りにけれ。与一、鏑(かぶら)を取て番、能引てひょうと放つ。小兵と云条、十二束三伏、弓は強し、鏑は浦響く程に長鳴りして、誤たず扇の要際一寸斗置て ひいふっとぞ射切たる。鏑は海に入りければ、扇は空へぞ上りける。春風に

与一は目を閉じて神々に祈ります。そして目をあけると不思議なことに風が弱まっています。すかさず鏑矢を番えて勢いよく放ちます。与一は小兵なので弓も小ぶりですが、強く引いたので矢は力強く飛び、扇の要の近くを射切って海へ落ちます。
日本の宗教はおおらかですね。八百万の神々が与一に味方するのです。ここは「拾」でも低音域で語ります。人知れず、けれども決意はしっかりと、祈っている感じがします。いっぽう、矢が飛ぶところは「拾」でも中音域で語ります。鏑矢の力強さを示しているかのようです。

走リ三重(はしりさんじゅう:短い三重)
一揉
(ひろい:合戦の場面を勇ましく語る)
二揉み揉まれて、海へ颯とぞ散たりける。皆紅の扇の日出ひたるが夕日に輝いて、白波の上に浮きぬ沈みぬゆられけるを、沖には平家船端を叩いて感じたり。陸には源氏、箙(えびら)を叩いてどよめきけり。

扇は水面に舞い散り、金色の日の丸に夕日が反射します。平氏は船端をポンと叩き、和歌でも詠む勢いで感心します。源氏は弓を入れる箱「箙」を叩いてどよめきます。
勇ましい語りの中に、一瞬だけ、高音域の節でゆったりと「ひともみ」と語ります。まるでスローモーションのようです。扇が水面に落ちる頃には通常の「拾」のスピードになり、源平両軍が我に返り、敵も味方もなく感動したことが伝わってきます。
目で読むより声に出して読んだほうが、行間に隠された面白味が見えてきます。声に出すより節をつけて語ったほうが、さらに立体的なイメージが膨らんできます。

*1:20メートル説、80メートル説、いろいろあります