平家琵琶の豆知識

平家琵琶の相伝者の立場から、やや専門的な解説をするブログです

入門式のこと

『平家音楽史』によると、平家琵琶の師に入門しようとする人は、師家に起證文を差し出すことになっています。おそらくこれは、盲人団体の当道座に入るときの手続きに由来するものです。
盲人最高位の検校(けんぎょう)のうち、特に平家琵琶に秀でた者は、宗匠と呼ばれていました。しかし明治維新によって盲人に対する制度が失われると、検校たちも身分を失い、平家琵琶の伝承も風前の灯となりました。
それを危惧したのが、弘前藩の政策のために参勤交代を利用して平家琵琶を修得していた楠美(くすみ)家および弘前藩士の人々でした。協議を重ね、楠美家を師家として、宗匠のかわりをすると決めています。
でも、江戸時代末期の弘前藩で、盲人が楠美家に対して提出した起證文が残っていますので、起證文の提出は、明治以前から定められていたことと考えられます。
また、起「請」文ではなく起「證」文と書かれている理由は、身の証しをたてるという意味で、こだわって使われているようです。

起證文之事
平家詞曲の義は雲上の故実にして賤口に落しす、頓写大法会に吟奏の趣致感得御相伝の次第聊以粗略仕間敷事。
一 淫声混雑、吟奏仕間敷事。
一 猿楽職業の者へ堅授与致間敷事。
一 平人へ授与致候にも人柄考量の上芸道粗略不相成様心得可申事。
  但授与の義は灌頂の巻、伝授相済候上の事。
右の條々於相違犯者
山王一社別て妙音弁才二天の神罰冥罰可罷蒙者也、依而起證文如件。
   年号月日         何ノ誰印
     何ノ誰殿

旧字は適宜直しましたが、暗号みたいですから、意訳してみましょう。

平家詞曲は天皇家に関わる故実平家物語)を語るものであり、徳川将軍が亡くなった時に行う法要(写経を行う)でも語るものなので、次のことを必ず守ります。
一 酒の席など、騒がしいところでは語りません。
一 猿楽(こっけいな芸の意味か)の者へは教えません。
一 弟子をとるときは、人柄を考量してからにいたします。
  但し、「灌頂の巻」の伝授が済んでからにいたします。
これを守らなければ神罰が下る覚悟で、身の証をたてます。

灌頂の巻は、清盛の娘で高倉天皇の妃となった健礼門院徳子が、出家して寂光院に入りお亡くなりになるまでの5句を指します。平家琵琶は200句から成り立ちますが、灌頂の巻は特に大切なものですので、修得が許されるのは190句め以降となります。(一部分を“習う”ことについては寛大ですが、これでは“伝授相済”とは認められません。)